奥出雲の歴史を探る 2015-03-11

奥出雲 『歴史』

3月最後にもう一度雪が降るものですが、今回は大雪&寒さが厳しかったです。
昨夜9:30頃自宅に帰ろうと車を走らせていると、目に入ったのは「-7℃」の温度計でした。
寒いはずです・・・


さて、ブログやFacebookで情報提供を依頼した「安部十二造氏」について、多くの方のご好意で色々と分かってきました。
2月16日に初めて「安部十二造」という名前を聞き、興味を覚え調べ始め3週間経ちましたが、幸運にも『安部十二造 遺稿と追想録』が手元に届き、「安部十二造氏」の息子様とメールでやり取りさせていただくことが出来ました。

遺稿と追想録

遺稿と追想録1

この本、ネット上では「国会図書館」と「島根大学図書館」にあるとしか出てこなかったので、国会図書館まで行かないと読めないと思っていましたが、「島根県立図書館」にもあり、奥出雲町の図書館から依頼をすれば貸し出しが出来ると教えていただき、昨日私の手元に届きました。

息子様に宛てた幼少期から58歳までの自伝から始まり、詠まれた和歌や俳句集、氏が設立された団体での挨拶や刊行された会報への寄稿文などが掲載、そして追想録として交友関係のあった方々から寄稿文が載っていました。
言葉遣いが‘候文’というのでしょうか、今は使われていない「~候」や「~たり」など、そして分からない漢字・言葉遣いなども多く、理解するのに難しい部分が多々ありますが、それでも氏のしてこられた事が分かり、その時の想いを知ることができ、大変興味深く読ませてもらっています。

ただ、もっと大きな問題はやはり私のこの当時の時代背景が分かっていないという事。
実は、安部十二造氏の事を調べたからそう思ったのではなく、他の方々や、現在一番興味のある「たたら」についても、本当の意味で理解するには、歴史が分かっていて、その当時の時代背景が分かっていないと理解でいないとつくずく感じています。

たたら新聞


山陰在住の方は知っておられると思いますが、山陰中央新報さんの連載「鉄のまほろばシリーズ」。第1回からずっと読み集めていますが、製鉄技術だけではなく、景観までもたたらによって生み出されたものということを知る、たたらを理解するとても素晴らしい連載記事ですが、3月9日号は櫻井家の角炉のお話。太平洋戦争が終わった頃の時代背景とともに櫻井家のたたらの歴史、奥出雲のたたらの歴史が書いてありました。

今のこの豊かな日本があるのは、本当にこの頃将来の日本を案じ国の為、地域の為に生きて下さった先人達のお陰だと思うのですが、その歴史というか繋がりが全く私の中で途切れていました。


こうやって、奥出雲出身の偉人や歴史を調べていくことで日本への誇りや地域への誇りが生れてきています。
今更ながらに勉強をしてこなかった学生時代を悔やんでいますが、逆に知る楽しさ・喜びを地域を調べる事で教わっています。

さて、やはり今必要なのは「明治維新から戦後」くらいまでの歴史の勉強だなぁと・・・。
そして、ここのところなかなか書けていなかったブログに色々まとめて書くことが勉強の1つだとも思っていますので、これから当分の間は歴史にまつわることを書いていこうと思っています。


そうだ!!
もし、「明治維新から戦後」くらいまでのまずは基礎知識を勉強するにあたって、これオススメだよ、という本がありました是非教えてください。 
よろしくお願いします☆


「消えた仁王像」の追跡 ③ 2013-08-17

奥出雲 『歴史』

第3章 追跡を終えて

 『帰国して間もなく、メノー氏から約束の回答が届いた。2つの文書が添付されていた。1つは仁王像の後頭部の墨書である。そこには、仁王堂が暦応年間(1338年~1342年)の兵乱によって破損したこと、及び天文8年(1539年)に仁王像を彩色したことが書かれている。他の1つは岩屋寺文書の快円日記の抜粋である。康秀が天文8年に四天王像を造ったこと、及び仁王像を修復したことが書かれている。これら2文書について考察を試みた。
 仁王像は暦応年間もしくはそれ以前に造られ、仁王堂に安置されていたが暦応年間に兵乱によって仁王堂が壊され、恐らく仁王像も破損し、以後どこかの場所に仮置きされている状態が長く続き、彩色もあせてしまったために、1539年に快円が康秀に修復を依頼したと推測される。
 暦応(1338年~1342年)は、南北朝時代前半の年号であるから、更にさかのぼり十一面観音菩薩(1306年鏡信作、岩屋寺旧蔵品)と同じ時期、即ち鎌倉時代後期にさかのぼる可能性がある。なおこの考察についての所見をメノー氏にお願いしている。』



赤水氏のお蔭で、ここまで仁王像の制作時期が分かりました。
ただ赤水氏も書いておられますが、作者が誰なのか不明なのが残念だと…。

追跡を終えて分かった事をまとめておられますが、上記の事、そして昭和48年~50年頃仁王堂から何者かによって運び出され、寄り道をしながらとある場所に辿りつき、メノー氏が平成16年から交渉に入り平成19年に2年半の交渉の末取引が成立し、同年博物館に到着したことです。

色々な噂を赤水氏も聞いておられるようですが、『いずれも確証はなく真相は闇の中にある。この不明期間は、秘密裏に運搬・仮置きされたであろうと推測されるので、事件として追跡しない限りその動静を把握することは困難と思われる。』と書いておられます。



そして2m20cmもある仁王像をどうやって運び出したのか、みんな不思議におもっているのですが、このように書いてありました。

 『あの巨像を山門からどのようにして運び出したのか、ミステリーと噂されたが、博物館に到着した時の荷姿を見ると、それほど不可解な作業ではないように思える。像に布を巻いて養生し、用意しておいた木枠の箱2個に納めて、これを小型トラックに載せて運搬する一連の作業は、三人の人手があれば造作ないように思われる。』

と…。そしておかしな人の手に渡るのではなく博物館にて日本美術使者として大切にされていることを見届けたこと、仁王像と対面できたことは終生忘れらない思い出となったと書いておられます。


最後に、メノー氏から木山宮司に宛てられたメッセージの末文の記載と、岩屋寺に関する資料提供をされた方々への御礼が書かれ、レポートは終了しています。

KIMG1134.jpg 
上:アムステルダム国立美術館 写真
中:       同         イラスト
下:仁王像の前で「赤水氏とメノー氏」



このレポートを送って頂き読み終えた時、何とも悔しい気持ちとここまでのレポートをまとめて下さった赤水様に尊敬と感謝の念がわきました。

どうして由緒あるお寺を守ること、仁王像他重要文化財の仏像を守ることが出来なかったのか、残念でなりません。
これはあくまでも噂ですが、この仁王像が売りに出された時、実は旧横田町だか島根県だかに1億円で買わないかと打診があったと聞きました。本当かどうかは分かりませんが…。もしそれが本当であれば、何故その時買い戻すことができなかったのか、本当に本当に残念でなりません。

しかし、赤水様も書いておられるように、日本美術紹介の使者としての役割を担っていると思うと、廃寺にあるよりはよっぽどいいのかもしれません。そして色んな教訓をこの事は教えてくれているので、今後このような事がないようにしていきたいものです。


赤水様は実は友達から新聞社への寄稿を進められていたようですが、作者不明ではニュースの価値がないので辞めたとお手紙に書いてありました。
しかし、私から見れば本当に素晴らしいレポートで、是非多くの方に知って頂きたいとの思いがありましたので、今回お願いをしてブログ掲載をさせて頂きました。
本来なら全部載せるのが読む方にとっては良いと思いますが、インターネット上に載せて残る事がよいかどうか判断が付きませんでしたので、私の拙いまとめでおおくりしました。


この度私のブログを読まれた方から、「是非読ませて欲しい」とのメールやFacebook等でも載せた事に対しての感謝の気持ちを書いて下さっている方もいます。関心が高い事に嬉しくなりました。

長年噂でしか分からなかったことをここまで調べて頂いたレポートを私にまで送って下さり、またブログへの掲載を許可頂きました赤水眞二様に、この場をお借りして御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました!!











「消えた仁王像」の追跡 ② 2013-08-16

奥出雲 『歴史』

第2章 仁王像に対面

 『4月11日10時半に福岡空港を離陸、同日の現地時間15時過ぎにアムステルダム国際空港に到着(約12時間の飛行、時差7時間)。アムステルダムを起点にして、オランダ、ベルギー及びルクセンブルク三国の周遊を終えて、再びアムステルダムに戻る。いよいよ仁王像に対面する4月18日を迎えた。すでに13日に初公開され、お披露目を終えている。 オープン初日の入場者数は約2万人であったという。当日も入口は長蛇の列ができるほど盛況であった。ゴシック調の博物館は荘厳でヨーロッパ有数の博物館にふさわしい威容を誇っていた。』


 
 私もインターネット上ですが、少し『アムステルダム国立美術館』を調べてみました。1885年に建築家ピエール・カウパースによって建てられ、その後の増改築によって迷宮のようになってしまっていたものを現代に合わせた形に改修しようと2003年から閉館・解体、しかしリニューアルの設計コンペで1位を獲得したスペイン人の建築家のデザインに市民団体が猛反発、そして政府からの予算削減など、様々な問題が起こる度に工事が中断。延期につぐ延期となり、10年もの歳月をかけ、2013年4月にようやく公開にこぎつけたのだそうです。
 デザインに対する反発って、美術館を貫く自転車通路の閉鎖に市民が反対したのだそうですよ!

 そんなすったもんだがあった中、『アジア館の目玉』として岩屋寺の仁王像がお披露目をされたのだそうです。

 
 対面された赤水氏は下記のように表現しておられます。

 『当館で一番広い陳列ホールの入口でアジア館の責任者であるメノー・フィツキー氏が私を迎えてくれた。挨拶をそこそこに済ませ、ホールを見渡した瞬間に仁王像が目に入った。懐かしい、あの故郷の金剛力士がヨーロッパの檜舞台に堂々と立って、次々とやってくる観客に対峙しているではないか、その雄姿たるや涙が出そうになるほどの感激であった。』

 そして、木山宮司からメノー氏が日本語が堪能と聞いておられたので、日本語で5つ質問したことが書いてあります。

 1.仁王像を初めてみたのはいつ、どこでしたか?
 2.仁王像が何年頃に岩屋寺から持ち出されたか聞いたことがありますか、また仁王堂から消えた後、辿った足取りについて聞いていることを教えてください。
 3.オークションで落札したのはいつですか?また博物館に到着したのはいつですか?
 4.いくらで購入したのか郷里の人は関心を持っている。差支えない範囲で話してもらいたい。
 5.オランダ人、あるいはあなた自身から見て、仁王像をどのように評価していますか、どんな魅力がありますか?

 1~4については、インターネット上に言葉として残すのが適当かどうか分かりませんので、この場には書かないでおきます。もし興味のある方、知りたい方は私までご連絡下さい。

 5についての回答は私も興味深いものでした。
「ヨーロッパで日本美術というと、どうしても禅の世界の「静」のイメージがある。しかしパワフルで、活気のある「アート」もあることを伝えたい。表情が豊かで、とても人気がある。」


 そして会話の中で、制作年代は南北朝時代(1336年~1392年)で作者は不詳という事が分かったそうです。ただ赤水氏が入手された資料から赤水氏は16世紀前半の作品で作者は運慶派の仏師・康秀(こうしゅう)だろうと思っておたれたので、疑問をメノー氏にぶつけられましたが、その説明では理解できなかったのだそうです。そしてまたメールで回答いただくという事でインタビューを終えられたと書いてあります。


最後に、ちょっと長くなりますが赤水氏の仁王像に対面し、メノー氏との会話から感じられた感想を記しておきます。

 『見納めに、もう一度、仁王像の前に立ち、頭のてっぺんから足のつま先まで、つぶさに観察した。巨像の背丈は3メートルくらいあろうかと思われるが、正確には2m20cmであるという。これほど精巧、しかも力がみなぎり、憤怒の情を豊かに表現している彫像は他にはないとの信念は、些かもゆらぐことはなかった。
 仁王の「仏法の守護神」としての使命は、とっくに終わっているとはいえ、美術的価値は永遠である。日本人はその芸術を売り、オランダ人は、それを買い像の魅力に心をわくわくさせているのは皮肉な結果である。しかし、30年余りの流浪の末に、ヨーロッパ有数の博物館に安住の地を得たのである。しかも仁王像をこの上なく愛しているメノー・フィツキー氏に見守られ、更に末永く守護されていくであろう、そして世界の多くの人々に感動を与え続けるであろうと思うと時、安堵の気持ちに満たされた。奥出雲の人里離れた廃寺の山門に閉じ込められているより遙かに幸せではないだろうか。あのいかめしい怒りの表情が心なしか和らいでいるように感じられ、故郷の宝を失った無念の思いが薄らいでいくようであった。末永く安らかであれと祈りつつ別れを告げた。』



このような感想で第2章は締めくくられていました。


③に続く・・・。



 

 
 


「消えた仁王像」の追跡 ① 2013-08-15

奥出雲 『歴史』

第1章 海を渡った仁王像

 『私の故郷、島根県仁多郡奥出雲町(旧横田町)の横田八幡宮裏山の頂上に真言宗の岩屋寺がある。残存している古文書によれば、天平勝宝年間(749年~756年)に行基による創建とされ、聖武天皇勅願所であった。1274年、最初の蒙古襲来時、博多湾沿岸に上陸した蒙古軍は暴風と高波により船の大半が沈没して運よく国難を逃れたが、次の襲来に備えることを余儀なくされた。日本の寺という寺では勝利を祈願する祭事が行われ、時の後宇多天皇は、伊勢神宮はもとより岩屋寺にも祈願する。近世まで奥出雲を代表する寺で行政の要所として権勢をふるった由緒ある寺であるが、今や廃寺となり古刹の面影はない。』


このような書き出しで始まったレポートですが、岩屋寺が由緒あるとはなんとなく聞いていましたが、700年代にここ奥出雲にこのようなお寺が建っていた事に、改めて驚きました。


レポートされた赤水眞二氏は幼少の頃ここ岩屋寺に何度も登り、山門に立ちはだかる一対の仁王像に恐怖に怯えながらも心惹かれるものがあったと記されています。
昭和50年頃この仁王像が突然消え、謎に包まれたまま歳月が流れてしまっていたとき、宮司の木山氏から『アムステルダム国立博物館に所蔵されている』という話を聞かれたそうです。

そして今年2月、‘オランダ映画『ようこそ、アムステルダム国立博物館へ』と『仁王像』’をキーワードに検索すると、岩屋寺の仁王像に関する記事が20件以上もあり、驚くべき事実が判明したと書いておられます。

この映画は平成20年に公開され、老朽化など問題を抱える博物館をリニューアルする際の騒動を納めたドキュメンタリーで、映画を鑑賞した人からの感想が寄せられていたそうです。

学芸員メノー氏の購入と研究に邁進する姿や、運ばれてきた際の愛おしそうに撫でる姿に誇らしげな表情。
昭和55年に売り出され、メノー氏が館長を説得して新設するアジア館の目玉にすることを決定し、2年半の交渉の末買い付けに成功したこと。中には芸術作品の海外流出を憂える厳しい批判など、4つの視点で書いておられます。

そしてこの博物館は平成16年から改築が始まり、紆余曲折を得て、平成25年4月13日にオープンしたのだそうです。
赤水氏はオランダとの合併企業に出向しておられた経験もあり、元同僚との再会や観光もかね、もう一度仁王像に会いたい一心でこの博物館に4月に行くことを決心されました。

映画で見るメノー氏は仁王像に愛着を持ち、入手するために心血を注いだ人なので、価格交渉の過程で仁王像にまつわる裏話を聞いておられるだろうと思い、直接会って遍歴の足取りや像の評価など聞きたい、生あるうちにもう一度仁王像に会いたい思いを書き面会を申し入れられ、快諾と丁寧な歓迎の返事をもらったことを書いておられます。

そして訪問し仁王像に対面する前に岩屋寺の現状・仁王堂がどうなっているかを確かめたくなり、3月中旬に約60年ぶりに寺を訪ねた事が記されています。

 『本堂と鎮守堂の外観は白っぽい木肌を見せているが、風雪に耐えていた。宝物殿は、草木・竹の藪に囲まれているが、金色の外観は予想したほど色あせることもなく、栄華の後をかすかにうかがわせる風情であった。
 鎌倉時代には焼き討ちを仕掛けたり、されたりして多くの宗徒が通った道を引き返し、仏教の興廃、寺の変遷に思いをはせながら下山した。』


と第一章の最後にこう記してありました。




②に続く・・・。

‘たたら’がもたらしたもの 2013-07-18

奥出雲 『歴史』

新聞記事0715

先日7月15日付けの山陰中央新報の16面に載ったこの記事、読まれましたでしょうか?!
読まれていない方は、下記クリックしてどうぞ↓↓
山陰中央新報記事『たたらとともに豊穣得る』

リアルタイムで私も読まなかったのですが、先日知人から言われ読んでみました。
奥出雲の1/3の棚田は、砂鉄を採取した(かんな流し)跡地に出来たものという、初めて知った事実。

昨年秋の季刊誌『山里だより』で、仁多米を取り上げたのですが、その取材の中で、たたら製鉄を運搬するために牛や馬をかっていて、その堆肥や、ここの地形によるミネラル分の多い水、寒暖差で美味しいお米が出来ると知ったのですが、鉄穴流しによって出来上がった棚田だったとは・・・。
やはり奥出雲は、たたら製鉄から切っても切り離せないところなんですね~!!

そして、この記事の最後の段に書いてありますが、普通鉱山で鉱物を掘った後は荒廃することが多い中、このように田んぼにし、豊かな食の文化を作り上げてきたことは珍しいのだとか。
この町の先人たちに感謝しなければなりませんね!!


石見銀山も確か、環境に配慮した銀山跡という事で世界遺産になったんですよね?!


そんなことを思うと、奥出雲のこの豊かな田園風景も世界遺産に匹敵するものかもしれませんね!!
また1つ、奥出雲の魅力を知る事ができ嬉しいです♥
山陰中央新報さん、そして教えてくれたOさん、ありがとうございました~\(^o^)/


近いうちに、この新聞記事に載っている田園風景を歩いてみたいなぁと思っています☆




おっと、忘れるところでした。
もう一つご紹介♪♪

7月19日(金) 午後10時~ BS朝日『エコの作法』(再放送)
にて、たたら製鉄やこの鉄穴流しによる棚田形成の話など放送されるようです。
是非ご覧ください!!


0719棚田
今日の奥出雲、田園風景。

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