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安部十二造氏について 2015-02-20

奥出雲 『人物』

今日は少し暖かさを感じる奥出雲で、久しぶりに青空を見たような気がします!
車から降りて事務所に入ろうとした時、お散歩中の男性に声を掛けられました。
しばしポカポカと日差しの当たる外で話をした内容は、「奥出雲の未来が心配」ということでした。
80が近いその男性は、「自分はもうすぐあの世に行くからいいけど、ここに残った者達が自分達が残した負の遺産で苦しまないで欲しい。それがわしの願いです。格差が広がり、特に島根の人間は競争社会では取り残される人のいい人種。競争社会もいいけど、弱者、弱い者達も幸せに暮らせる社会であって欲しい。」と、初めて話をする男性は未来の奥出雲を担う人たちへ目を向けられていました。
20分くらいしゃべったでしょうか、心温まるひと時でした!!


さて、ちょっと前置きが長くなりましたが、先日ブログで情報提供をお願いした『安部十二造氏』について、様々な方から情報をお寄せ頂き、どのような方だったのか、少しずつ分かってきました!!!

まずこちらをご覧下さい↓↓
写真 (26)
私のブログを読んで、松葉屋スタッフOさんが持ってきてくれました。
山陰中央新報の「明窓」です。Oさんが新聞の切抜きをとっておられたのでした。
咲楽スタッフのLちゃんとの会話は、実は彼女がこの記事を読んでいて、それで「安部十二造」という名前を覚えていたからでした。

まさか、1年半前のこの記事からこのような事になるとは・・・。



そして次に、岩屋寺の記事をブログに書いたことがきっかけで知り合った奥出雲出身で現在神奈川県在住の廣田さんより、このような情報をお寄せ頂きました。

1.安倍十二造
明治29年~昭和44年 社会福祉施設の創立者
仁多郡阿井村の出身。勉学を志して渡米、ニューヨーク大学に入学し、新聞学・経済学を学ぶ。帰国後、昭和7年、国際電話会社を設立し、顧問に就任。
一方で育英事業のため祈月書院を松江市に創立、戦中から戦後にかけ疎開児童の擁護及び戦災引揚孤児の収容に当った。28年社会福祉法人へ改組し双樹学院とした。
(以下省略  参考文献 仁多町誌) (島根県歴史人物事典より)

2.安倍十二造 遺稿と随想録
目次項目を入手したので、添付ファイル(PDF)で送ります。(自費出版図書館より)
内容は読んでいないので判りません。それにしても、大橋武夫・賀屋興宣・木幡吹月・古井喜実・松前重義・関英男などの著名人が登場しています。

写真 1 (12)

写真 2 (13)

廣田さんが書いておられる有名人であろう人達(すみません、私にとって全く知らない人達なので)を調べてみました。
「   」が名前で、(   )は安部十二造氏を表現した言葉。

「大橋武夫」(島根県の誇るべき人物)・・・明治39年 - 昭和62年 日本の陸軍軍人、実業家、経営評論家。軍人として第53軍参謀・東部軍参謀等を務め、階級は陸軍中佐に至る。戦後東洋精密工業社長、同社相談役や偕行社副会長を歴任する。愛知県蒲郡市出身。
(Wikipediaより)

「賀屋興宣」(国士と言うべき人)・・・明治22年 - 昭和52年 広島県広島市出身の大蔵官僚、政治家。父は国学者の藤井稜意(いつ)、母は愛国婦人会幹事を務めた賀屋鎌子。4歳の時母の伯父の家を継いで賀屋姓を名乗った。東京帝国大学法科大学政治学科卒。大蔵省に入省し、主に主計畑を進んだ。官僚時代には陸海軍予算を担当し、少壮軍人達とも親しかった。(Wikipediaより)

「木幡吹月」(尺八の先生を通じて)・・・明治34年~昭和58年 松江市出身 代々藩主の本陣宿を務め、苗字帯刀を許された木幡家の14代当主。幼名を晋介、後に久右衛門を襲名する。早稲田大学政治経済学部を卒業。宍道町長、県会議員等政界で活躍したが、昭和22年 自宅を開放して旅館「八雲本陣」を開業する。昭和31年島根新聞社社長就任、また県文化財保護審議会会長等の要職にも就任する。生来多趣味の文化人で尺八・俳句・川柳を好み席画もよくした。(アートセンター出雲より)

「古井喜実」(いつまでも心に残る人)・・・明治36年-平成7年 鳥取県八頭町出身 日本の内務官僚、政治家。本名は古井 喜實(読み方は同じ)。日中友好議員連盟会長を務めた。(Wikipediaより)

「松前重義」(安部先生と生を共にして)・・・明治34年 - 平成3年 熊本県出身 日本の官僚・政治家・科学者・教育者・工学博士。東海大学創立者。日本社会党衆議院議員。内村鑑三に師事した。日ソ交流を進めた。世界連邦建設同盟(現、世界連邦運動協会)会長(Wikipediaより)

「関英男」(国際電気通信㈱における先生の御業績)・・・明治38年 - 平成13年 山形県出身 日本の電気工学者。東京工業大学電気工学科卒業。工学博士。東京工業大学・ハワイ大学・電気通信大学・千葉工業大学・東海大学の教授を歴任。加速学園代表、日本サイ科学会会長・名誉会長としてサイ科学・加速教育の研究・発展・啓蒙に努めた。電子通信情報学会名誉会員、IEEEフェロー。紫綬褒章、勲三等瑞宝章受章。(Wikipediaより)

あと、気になった人を調べてみました。
「太田耕造」(国家の大業を成し得た人物)・・・明治22年- 昭和56年 福島県出身 日本の弁護士・政治家・教育者。亜細亜大学の実質的創立者の一人。 日本基督一致教会福島教会(現、日本基督教団福島教会)で洗礼を受け、キリスト教青年運動に従事。牧師を志(Wikipediaより)


こうしてみると様々な分野で活躍なさった方との交友があったことにまず驚き。
そしてその方々が(    )にみる安部十二造氏を表現した言葉を読んだだけでも、安部氏の偉大さが分かります。 


そして、松江出身で現在東京在住の新宮さんより下記のコメントを頂きました。
>国会図書館で「遺稿と追想録」を読みました。追想録の文章から氏の功績と偉大さが読み取れました。
>氏の事をご存じない方も多いと思います。多くの人に知って欲しいと感じました。
>この本は非売品だったようなので、手に入れることは難しそうですね。

内容は聞いていませんが、このコメントを読んだだけでもこの本は読まなければならないと感じています。


どんな功績を残され、偉大な人だったのか、興味はつきません!!
また分かり次第、ブログで紹介させていただきます。


情報をお寄せ頂きました皆様、ありがとうございました。
引き続き何かありましたら、情報お待ちしております!!!
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『安部十二造』氏について教えて下さい 2015-02-16

奥出雲 『人物』

すっかりご無沙汰をしております。
旅の話も書かないまま、ここ1ヶ月で色々なことがあり書きたい事は山済みですが・・・。
すみません


さて、今日はブログを読んで下さっている皆様で知っておられる方がいらっしゃるのではないかと思い、今日は教えていただきたくブログを書いています。

私は、奥出雲の事を調べていて稲田神社を建てられた『小林徳一朗氏』、横田相愛教会を建てられた『岡崎喜一郎氏』、奥出雲で初めて海外に行き、上野の精養軒共同オーナーの一人『妹尾勇吉氏』など明治生まれの素晴らしい方々を知り、少しでも多くの方にこんな素晴らしい方がこの奥出雲におられたことを知ってもらいたくブログ等で紹介してきました。

そんな中、今日スタッフと何気ない話から「そういえば、仁多に安部十二造さんって国際電話会社を創立した人がいたみたいですよ!」と。

さっそくネットで調べてみると、下記の情報が分かりました。

【安部十二造(1896 ~ 1969)は島根県仁多町(現在の奥出雲町)に生まれ、社会事業家として青少年の育英に尽力するかたわら、国際電話会社(現在の KDDI)、出雲造船株式会社などを創立した企業家でした。】
 (参照:東海大学学園史ニュースNO.2  2007.10.30発行 ネット上に公開されているPDF資料より)

【安部十二造―遺稿と追想録 (1974年)】そして、こんな本があるようですが、Amazonではもう販売していませんでした。

これ以上の情報が出てこなかったので、どなたか『安部十二造』氏の事知っている方がおられたら、もしくはこの本持っている人がいたら教えて下さい!!


よろしくお願いします☆

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