2014
Jun
19
0
奥出雲神社巡り~鬼神神社~
久々の晴れ間。
今朝も神社巡りしてきました!!
今日はこちら♪
奥出雲町大呂(中丁)にある『鬼神神社』です。
御祭神は『素戔嗚尊』・『五十猛尊』
実は、『五十猛尊』が祀られている神社ってかなり珍しいのだそうです。
イソタケルノミコトはスサノオノミコトとクシナダヒメの子供で、樹木の種子をもってきたと言われています。
そしてヤマタノオロチが荒らしてしまった野山に種をまき治山治水をした神様なのだそうです!!
神話って難しくて、『日本書紀』と『古事記』があるじゃないですか。
例えばスサノオノミコト1つとっても、
『日本書紀』・・・素戔嗚尊
『古事記』・・・建速須佐之男命
と読み方、漢字が違いますよね。
そしてこの五十猛尊は古事記には出てこない、日本書紀の中の神様なのです。
因みに古事記の‘建速須佐之男命と櫛名田比売’の子供は「八嶋士奴美神(やしまいjぬみのかみ)」です。
あぁぁぁぁ、難し過ぎる~というか、覚えられない~
こうやって、ブログを書くことで私も勉強させてもらっています、ハイ。
そしてこちら!!
素戔嗚尊と五十猛尊が乗ってきたといわれている埴船(はにふね)が岩化したものだと言われています。
地上2メートル、地下に数メートル埋もれているんだとか・・・。
こちらが、御本殿です。
大正7年の遷宮の時に建て替えられたのだそうです。
そして、裏山に入っていくと・・・・。
こちら、五十猛尊の御陵墓がありました!!!
由緒記が飾られていた読んだのですが、うむ~って感じ・・・。
そしたら、なんと有り難いことにここの神社を管理しておられる方が突如として現れて下さったのです!!!
『どちらから来られましたか?!』と・・・。
『町内です、松葉屋の内田です。』と・・・。
『な~んだ、松葉屋さんかね。』と・・・。
私自身初めてお会いする鬼神神社代表役員であり、責任総代の小林さん、とってもご親切に色々お話を聞かせてくださいました!!!
ありがとうございましたーー。
いつ遷宮を行ったのか、どなたが宮司さんか、何人ぐらい氏子さんがおられるのか・・・色々質問。
ここを守って管理するの大変ですねと言うと、
『自分達のことだけん。 良いも悪いも自分達の責任だけん。』
という言葉が返ってきました。
前に大呂神社に行ったときにも地元の方と出会い、『お参りして下さってありがとう。』という言葉に感動したのですが、今日もまた地元の人が大事に大事に守り、つないでいっているその姿にまた涙が出そうでした。
『最近はねぇ、若いもんが頑張っちょうよ~。危機感を感じて、年越しにここで賑やかしちょうけん。』
私が心配するほどの事でもなく、知らないだけで皆そこに暮らす人たちが自分の事として活動されているだと知り、嬉しくなりました。
こういった事は地道で華やかなものではありません。でも、心豊かに暮らすとは実はこんなところにあるような気がしています。
ここ奥出雲に住む私達にとっての初詣は、氏神様に12月31日除夜の鐘をききながらお参りする形。
そこで会った皆さんと『明けましておめでとうございます!今年も1年よろしくお願いします。』挨拶を交わします。
自分の氏神様しか詣でた事がないので他を知らなかったのですが、今日伺ってここでも同じことが行われていたと知りました。
田舎はつながりが強いので、色々大変な面もありますが、でもこうやって同じ土地に暮らす人たちと共に生きることは反面素敵なことだなぁと思います。
神社巡りやお寺巡り、こういった事を調べることで私はこの大自然の中で‘生かされている’ということ。
神様やご先祖様に感謝して、今を懸命に生きることを教わっています。
今日の1日に感謝。
今日の出会いに感謝。
さて、毎年8月7日には龍燈祭(オロチ退治の命日にオロチの魂を鎮めるお祭り)をされているのだそうです。
こちらも楽しみ♪ 是非8月7日に行ってみたいと思います!!
今朝も神社巡りしてきました!!
今日はこちら♪
奥出雲町大呂(中丁)にある『鬼神神社』です。
御祭神は『素戔嗚尊』・『五十猛尊』
実は、『五十猛尊』が祀られている神社ってかなり珍しいのだそうです。
イソタケルノミコトはスサノオノミコトとクシナダヒメの子供で、樹木の種子をもってきたと言われています。
そしてヤマタノオロチが荒らしてしまった野山に種をまき治山治水をした神様なのだそうです!!
神話って難しくて、『日本書紀』と『古事記』があるじゃないですか。
例えばスサノオノミコト1つとっても、
『日本書紀』・・・素戔嗚尊
『古事記』・・・建速須佐之男命
と読み方、漢字が違いますよね。
そしてこの五十猛尊は古事記には出てこない、日本書紀の中の神様なのです。
因みに古事記の‘建速須佐之男命と櫛名田比売’の子供は「八嶋士奴美神(やしまいjぬみのかみ)」です。
あぁぁぁぁ、難し過ぎる~というか、覚えられない~
こうやって、ブログを書くことで私も勉強させてもらっています、ハイ。
そしてこちら!!
素戔嗚尊と五十猛尊が乗ってきたといわれている埴船(はにふね)が岩化したものだと言われています。
地上2メートル、地下に数メートル埋もれているんだとか・・・。
こちらが、御本殿です。
大正7年の遷宮の時に建て替えられたのだそうです。
そして、裏山に入っていくと・・・・。
こちら、五十猛尊の御陵墓がありました!!!
由緒記が飾られていた読んだのですが、うむ~って感じ・・・。
そしたら、なんと有り難いことにここの神社を管理しておられる方が突如として現れて下さったのです!!!
『どちらから来られましたか?!』と・・・。
『町内です、松葉屋の内田です。』と・・・。
『な~んだ、松葉屋さんかね。』と・・・。
私自身初めてお会いする鬼神神社代表役員であり、責任総代の小林さん、とってもご親切に色々お話を聞かせてくださいました!!!
ありがとうございましたーー。
いつ遷宮を行ったのか、どなたが宮司さんか、何人ぐらい氏子さんがおられるのか・・・色々質問。
ここを守って管理するの大変ですねと言うと、
『自分達のことだけん。 良いも悪いも自分達の責任だけん。』
という言葉が返ってきました。
前に大呂神社に行ったときにも地元の方と出会い、『お参りして下さってありがとう。』という言葉に感動したのですが、今日もまた地元の人が大事に大事に守り、つないでいっているその姿にまた涙が出そうでした。
『最近はねぇ、若いもんが頑張っちょうよ~。危機感を感じて、年越しにここで賑やかしちょうけん。』
私が心配するほどの事でもなく、知らないだけで皆そこに暮らす人たちが自分の事として活動されているだと知り、嬉しくなりました。
こういった事は地道で華やかなものではありません。でも、心豊かに暮らすとは実はこんなところにあるような気がしています。
ここ奥出雲に住む私達にとっての初詣は、氏神様に12月31日除夜の鐘をききながらお参りする形。
そこで会った皆さんと『明けましておめでとうございます!今年も1年よろしくお願いします。』挨拶を交わします。
自分の氏神様しか詣でた事がないので他を知らなかったのですが、今日伺ってここでも同じことが行われていたと知りました。
田舎はつながりが強いので、色々大変な面もありますが、でもこうやって同じ土地に暮らす人たちと共に生きることは反面素敵なことだなぁと思います。
神社巡りやお寺巡り、こういった事を調べることで私はこの大自然の中で‘生かされている’ということ。
神様やご先祖様に感謝して、今を懸命に生きることを教わっています。
今日の1日に感謝。
今日の出会いに感謝。
さて、毎年8月7日には龍燈祭(オロチ退治の命日にオロチの魂を鎮めるお祭り)をされているのだそうです。
こちらも楽しみ♪ 是非8月7日に行ってみたいと思います!!