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日本遺産 観光ガイド養成講座 受講中 2016-07-15

つぶやき

梅雨真っ只中ですねぇ。
数日前は超暑い日が続いたと思ったら、奥出雲は今度は雨・雨・雨で現在気温20℃と、ちょっと肌寒いです。

大変ご無沙汰しています。
怒涛の6月を終え、ちょっとゆったり。やっとブログが書ける余裕がでてきました^^;

今日は、たたらのガイド養成講座のお話し。
7月7日から全10回で始まった「日本遺産観光ガイド養成講座」に参加しています。
奥出雲たたらと刀剣館・元館長 尾方豊さんと、藤岡大拙先生が講師で前回今回と尾方さんから学んでいます。

第1回目は「たたらって何?」
その1 「たたら製鉄はどのように紹介されているのか?」
その2 「日本遺産について」
その3 「鉄のまほろば編」

今日はその第2回目。前回の補足ということで「製錬と精錬」の話、メインは「近世企業たたら」と「鉄師について」を学びました!

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毎回プリントが配られるのと、教科書はこちら↑「鉄のまほろば」という本


2回参加してみて、やっぱり「たたら」は奥が深いし面白い!ですが、難しい。。。

私は「たたら」の鉄を作るしくみ、という事よりもその歴史だったり、文化だったり、今回日本遺産に認定された「たたらにまつわる物語」に興味があります。
なので、やはりなかなか頭に入ってこないのが「たたらでできる鉄の種類」。

前回最後の方で「製錬(鉱石から金属を取り出すこと)と精錬(金属から不純物を取り除くこと)」の話をされたのですが、‛言葉’だけだったので、図とかでもう1度教えて欲しいとお願いし、今回復習という事で、下記の資料をいただきました。

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前回と今回でやっとなんとなくわかったことは、「たたら製鉄」とは、単に炉の中で砂鉄と木炭を燃やして鉄を作るたたら場だけのことではなく、大鍛治場で鉄素材を製造するところまでを含んで「たたら製鉄」という事が分かりました。


そして今日は「近世企業たたら」の勉強。
1000年とも1500年とも続いていると言われる「たたら製鉄」。しかし、昔は鉄づくり集団が山の中で移動して作っていた歴史があります。それが大きな建屋で連続操業するようになり、江戸時代から松江藩が大地主の鉄師のみにたたら操業を許可し、保護をしてわが国の近世企業たたらと発展していきました。

松江藩が許可をしていたのが、9鉄師。
その中の御三家が、田部家・絲原家・櫻井家、そしてト蔵家。 奥出雲には「絲原家」・「櫻井家」・「ト蔵家」が許可され操業していました。
今日はそれぞれの鉄師の歴史を学び、この近世企業たたらはこの地域挙げての一大産業だったと知ることができました!

この時代の一鉄師の企業従事者は、常時・季節あわせて1,500人。奥出雲の3鉄師だけで4,500人が関係していたというのですから、どれだけこの地域の一大産業だったかが分かります。

学ぶ中で印象に残ったのが、各鉄師が「鉄を作る」ことだけではなく、農業・林業・畜産を含めた経営をし、生産性を上げる努力・高値で売る努力・輸送の努力などと、、雇用を守るという事と、社会貢献をされてきたこと。
時代の流れで製鉄業が終わりを告げた際、別の業態へ変換し、やはり雇用を守ることに必死になった歴史を知りました。

例えば、今年開業100周年を迎える「木次線」。これは絲原家が民間から出資者を募り資材を投じて整備。1914年に簸上鉄道の社長に就き、1934年の全線開通(宍道~備後落合)に尽力されました。
絲原家が「たたら」から完全に撤退されたのは木次線建設途上の1923年。そして事業転換をされたのが「木炭生産」。
そう、木炭を運ぶため輸送のために木次線を開通されたのです。宍道~備後落合までに八川駅とか出雲横田駅とか亀嵩駅とかいろいろありますが、何故クネクネとたくさん駅があるのかというと、各地域の木炭を乗せる為、このようなルートになったのだそうです。
絲原家が何故資材を投じて鉄道建設を進めたのか、それはたたらで生計を立ててきた多くの人たちの雇用を守るための義務感からだったのだそうです。
今ある当たり前の「木次線」に、こんな歴史があったのだと1つまた勉強になりました。


たたら製鉄の鉄穴流しによってできた棚田、仁多米。
たたら製鉄に必要な木炭、それを運ぶことを目的にしてできた、木次線。
田んぼを耕すにも利用され、たたら製鉄の原料の砂鉄や木炭を運び、鉄の出荷にも欠かすことができなかった牛。
この牛はのちに品種改良され、種雄牛として名声を得た「第7糸桜号」に繋がっていくのです。

農業・林業・畜産・・・全部がたたら製鉄と結びついています。
この町の現在ある豊かな資源は、全てたたらに結びついていると分かり、「たたら製鉄」の奥深さを実感しています。


今奥出雲が置かれている現状、課題・・・。
実はこうやって歴史を紐解いてみると、「ヒント」を与えてくれています。
大きな時代の流れの中で、この町が生き残っていく、ここで心豊かに暮らしていけるのは、もう一度たたら製鉄の歴史から学べると、私は思っています。
そして咲楽としてどうこれを伝えていくことができるのか、試行錯誤の日々です。


今回私だけではなく、咲楽スタッフ3名全員でこの講座を受講中♪♪
秋には晴れて「ガイド」になれる(はず)ですので、ガイドになれた暁には、是非皆さん私たちを指名して奥出雲観光に来てくださいね☆



追伸:まだ勉強中の身。間違ったことを書いているかもしれませんので、多めにみていただき、お気づきの点は是非教えてやってくださいませ。












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