稲田神社奉賛会 2015-06-01

奥出雲『神社』

6月に入りました!月日経つ早さを感じる今日この頃です。


先日、稲田神社のお掃除のお手伝いにお邪魔して来ました。
その際出てきたのが、こちら↓↓
稲田神社奉賛会

いつ作られたものかは分かりませんが、奉賛会の趣意書です。

稲田神社奉賛会1

奉賛会役員氏名が五十音順で書かれてあるのですが、
会長が絲原武太郎氏、顧問に名前が連ねてあるのが安部十二造氏・桜内義雄氏・櫻井三郎右衛門氏・千家尊紀氏、賛助員に竹下登氏・若槻礼次郎氏など、そうそうたるメンバーの名前がありました。
この神社を守ろうという多くの方々の気持ちをここ見ることができ、感激しているところです。

そして、今は「稲田神社」と言っていますがこの当時は「稲田姫神社」と“姫”が入っていることも知りました。


現在の稲田神社奉賛会の会長は絲原徳康氏、事務局が岡田篤志氏。
そうお二人のおじい様が会長及び事務局長を勤めておられ、そのまま現在孫達がその役目を引き受けておられるという・・・。
素晴らしいですね!!


こう書かれてあります。
「天の叢雲の剣発祥の地として名高い簸の川上、稲田の里に古くより鎮座まします稲田姫神社はヤマタノオロチ退治の素盞鳴尊の妃であり出雲文化開拓の先哲大国主の命の母神であり、また縁結びの神として地元民の崇敬をあつめております。去る昭和七年に当地方に因縁深い実業家故小林徳一郎翁の寄進により県下にも稀有の広壮優美な神殿となり、附近には姫誕生の折産湯を使われた産湯の池が鬱蒼たる老樹に囲まれ今も滾々たる清水を湛え姫塚或いは脱衣塚と呼ばれ姫誕生の折臍の緒を切られたと伝えられた篠竹叢生する笹宮跡(今尚その篠笹をとりて安産の守りとする風習あり)風光明媚な自然の美と附近に散在する古き由緒を物語る旧跡出土品と相まってその森厳壮美な社殿は参詣者に深い感銘を与えています。つきましてはこの度社殿整備に併せ吾妻山・船通山国定公園の一環としての施設を拡充し信仰と観光を兼ねて郷土発展に資し度く有志相はかり汎く江湖に寄進仰ぎ之が完成を期する所存であります。何卒微衷お汲みとりいただき格別のご協力をお願いいたします。」


先人達がこうやって守ってこられた大切な神社。
次は今に生きる私達の番だと改めて感じました。

奥出雲神社巡り~三澤神社~ 2015-04-23

奥出雲『神社』

最近私の中での注目は、“三沢地区”。
出雲国風土記、戦国時代の“要害山三沢城”、たたら製鉄の鉄穴流しなどなど、紐を解くと興味深い歴史がここ“三沢地区”にはたくんさん残っているのです!!
この地区には様々な歴史の研究会があるようで、是非一度お話を伺ってみたいと思っているところです。

さて、先日大原神社にお邪魔し、その後後藤宮司に案内してもらったのがこちら『三澤神社』です。
まず名誉宮司でいらっしゃる陶山親敏氏のお宅にお邪魔し、三澤神社のお話を聞かせてもらいました。

そして頂いたのが、こちらの冊子↓↓
三澤神社

全く予備知識無しで伺ったので、最初少し理解できないところがありましたが、お話しを録音させてもらい帰って聞き返し、頂いた資料を読み、‘三澤神社って凄い☆’というのが、分かりました。

主祭神は“アジスキタカヒコネノミコト”、オオクニヌシノミコトとタキリヒメノミコトの御長子神。
創立年代は明らかではないようですが、出雲国風土記には『弎沢社』として仁多郡にある神祗官社(国が認めた神社)2社(もう一社は伊賀多氣社)の首位に記録されています。

そして三澤郷に載っているエピソードが、
「アジスキタカヒコネノミコトは髭が長く伸びるほどになっても、昼も夜も泣いて言葉も喋れなかった。心配した御親神、オオクニヌシノミコトは御子神を船に乗せ沢山の島々を連れ巡りあやされたが、いっこうに泣き止まれなかった。困り果てた御親神は夢の中で『御子の泣くわけを教えてください。』と一心に祈られると不思議なことに、その夜、夢の中で御子がものを言われた。目が覚めてから御子に尋ねられると『三澤』と初めて言われた。更に『そこは何処か』と問われると、御子は御親神の前に立って石川を渡り、坂を上ったところで立ち止まり『此処です』とおっしゃった。この澤からはこんこんと水が湧き出ており、御子はその水で身を清めすっかり健康になられ、たくましい男神になられた。」 (※三澤神社略記より)
なのだそうです。

そしてこの理由より、出雲国造が神賀詞(かむよごと)(天皇の長寿と繁栄を祈る賀詞)奏上に朝廷に参向される時はこの神水で身を清められたと、風土記に記載してあるようです。

この話を何年か前にどなたかに説明した際、「今でもその風習はのこっているのですか?!」と聞かれたそうなのですが、その時は分かりませんと陶山名誉宮司は答えられたのだそうです。
そしてその数年後、今から11年前の平成14年に出雲国造が変わられた際、‘風土記記載のように三澤池の神水で身を清めてから奉献の儀を行った’旨のお手紙を第84代出雲国造千家宮司より頂戴したと教えて下さいました。

1300年前から変わらぬ儀式が続いていることは、この度の出雲大社や伊勢神宮の遷宮で知りましたが、このエピソードにもまた感動を覚えました!!


そしてその「三澤の池」ですが、本当にどこにあったのかはっきりとは分からず、3つの節があるそうです。
ここにはまだ行っていないので、近々行ってみたいと思っています。
時間が無くて写真も撮れなかったので、今度は社殿と池の写真を載せたいと思います。


『出雲国風土記』の神社巡り、楽しくなってきました♪♪






奥出雲神社巡り~大原神社~ 2015-04-17

奥出雲『神社』

暖かいと感じる日が訪れたかと思いきや、また冬の寒さに逆戻り・・・。
お天気も悪いですし、早く暖かい日が来て欲しいと願うばかりです


先日、久しぶりに奥出雲の神社巡りをしてきました!!
上阿井にある「大原神社」と三沢にある「三澤神社」です。
両神社の宮司を務めておられる、後藤和彦さんに連絡を取らせてもらい、お話しを伺いに行って来ました。

大原神社
初めて行く大原神社、鳥居の前に立ち、長く続く階段を見て歴史を感じました。

大原神社1
あいにくの雨で、ほとんど写真は撮らず仕舞い・・・。
立派な社殿は是非皆さんご自分の目で確かめに行って下さいね!!


お話しを伺って分かったこと。

成務天皇5年(135年)のとき上阿井雲崎地区に勧請。(573年間ここにあったそうです)
その後、和銅2年(709年)、上阿井神田地区へ移転。(951年間)
そして現在の場所に上阿井大森地区に移転し450年くらいになるそうです。

国主や藩主の崇敬が篤い神社だったのだそうで、天文20年(1551年)に仁多郡主三澤為清が崇敬して社殿を造営したということです。

聞いてビックリです!!
だって、古事記1300年(712年)とか言っている以前の、135年にはここ阿井に神社があったという事が分かっているなんて、凄くないですか!!!

人々が1,880年間ずーっと守り続けているんですよ、ここ奥出雲阿井地区で・・・。
今も10月9日の例祭前は、地域の人達が100人くらい集まり掃除や手入れをしておられるそうです。
そして例祭では神楽を舞ったり、神輿を担いだり、神事をずっとされているという事でした。

御祭神は『大名牟遅命(オオナムチノミコト)』 そうです、大国主命(オオクニヌシノミコト)の別名です。
オオクニヌシは色々な呼び名があるのですが、ここ大原神社のオオナムチノミコトの漢字は珍しいのだそうです。


昨年8月に仰支斯里神社の石原宮司に伺った奥出雲町内の「出雲国風土記」に載っている神社を知りたいと思って、それがきっかけでこの度「出雲国風土記」に載っている「大原神社」と「三澤神社」にお邪魔しました。


ではちょっとだけ、現在私が知った情報を!!
733年に完成した「出雲国風土記」に「仁多郷」として載っているのが、三所郷・三沢郷・布施郷・横田郷の4つ。
その4つの中に12の村があり載っています。
そして、10社奥出雲の神社がのっているのですが、記載順に
1.三澤神社(弎澤社)・・・奥出雲町三沢
2.伊賀多気神社(伊我多氣社)・・・奥出雲町横田
3.(玉作社)・・・奥出雲町亀嵩の玉峰山上にあったが今はない
4.(須我之非社)・・・奥出雲町上三所の城山にあったが江戸初期には既に廃社
5.湯野神社(湯野社)・・・奥出雲町亀嵩
6.比太神社(比太社)・・・安来市広瀬町西比田
7.温泉神社(漆仁社)・・・雲南市木次町湯村
8.大原神社(大原社)・・・奥出雲町上阿井
9.仰支斯里神社(印支斯里社)・・・奥出雲町八代
10.石壺神社(石壺社)・・・雲南市木次町平田

ということですが、昔は木次町の一部、広瀬町の一部は奥出雲町という言い方は変ですが仁多郷だったようです。
現在奥出雲町に現存している神社は5社のみ。
fudoki.jpg

こちらの冊子を頂いたので、現在勉強中!!!
また追々ご紹介していきますね☆



奥出雲神社巡り~仰支斯里神社~ 2014-08-02

奥出雲『神社』

かみきり神社2
先日、スタッフLちゃんと今度は前もって宮司さんにアポイントを取ってお話を聞きに行ってきました!!
それがこちらの神社です。 八代にあります♪
宮司は私が高校時代お世話になった(授業は受けていませんが…)石原道夫先生です。

かみきり神社3
さて皆さん、この神社の名前読めますか?!

   
   
   
   
   

なんと「かみきり」と読むのです!!!
ハイ、かみきり神社です!驚きですよね~

石原先生に教えてもらい始めて知ったのですが、奥出雲には現在34の神社があり、その中で5つの
神社が天平5年(733年)に書かれた『出雲国風土記』に載っているのです。
こちらの“仰支斯里神社”もこの漢字で載っています。

あと4つは、
“伊賀多氣神社”(横田)
“三澤神社”(三沢)
“湯野神社”(亀嵩)
“大原神社”(上阿井)
です。

1300年も前からこの地にこの神社はあり、ここに住み人々にずっと大事にされてきたかと思うと、感慨
深いものがありますよね~。
712年に編纂された古事記も2年前に1300年で沸きましたが、あと17年で出雲国風土記1300年となり
ますので、それまでに私ももう少し勉強しておきたいと思っています、ハイ。

もちろん1300年の間に何度も修復をし遷宮を重ねてきているのでしょうが、1300年もの間ずっと続いて
ここに‘ある’という事は素晴らし事だと思います。

かみきり神社

さて、仰支斯里神社に話を戻しますが42年生きてきてこのような神社が奥出雲にあることを先月初めて
知りました。
境内へ上がってみましたが、とても立派な神社があり、そしてきちんと手入れ管理されてあり、この地域
の方々、そして石原宮司がちゃんと守っておられるのを感じました。

この‘仰支斯里’という漢字、何故こうなったのか。1600年代からこの漢字についての論争があったことが
記録に残っているようです。
石原先生は独自の考え方をお持ちで、そのお話を伺うと『なるほど~!』と思わされました。
ここには載せませんので、是非“仰支斯里神社”へお参りに行ってみて下さい。飾ってありますので!!

かみきり神社1
そしてこちらが境内から見た風景です。汽車が走っている時また見たいなぁとLちゃんと話してました。
とっても良い眺めでした♪


石原先生は布施にある八重垣神社とメガネの三城志学社の宮司でもいらっしゃいます。
八重垣神社の話も伺いましたが、これも面白かったです。
というか、奥が深いです!!!


まずは風土記に載っている神社を制覇したいと思います。



石原先生、お忙しい中お話をして下さい本当にありがとうございました!!

奥出雲神社巡り~鬼神神社~ 2014-06-19

奥出雲『神社』

久々の晴れ間。
今朝も神社巡りしてきました!!

鬼神神社
今日はこちら♪
奥出雲町大呂(中丁)にある『鬼神神社』です。

御祭神は『素戔嗚尊』・『五十猛尊』
実は、『五十猛尊』が祀られている神社ってかなり珍しいのだそうです。
イソタケルノミコトはスサノオノミコトとクシナダヒメの子供で、樹木の種子をもってきたと言われています。
そしてヤマタノオロチが荒らしてしまった野山に種をまき治山治水をした神様なのだそうです!!

神話って難しくて、『日本書紀』と『古事記』があるじゃないですか。
例えばスサノオノミコト1つとっても、
 『日本書紀』・・・素戔嗚尊
 『古事記』・・・建速須佐之男命
と読み方、漢字が違いますよね。

そしてこの五十猛尊は古事記には出てこない、日本書紀の中の神様なのです。
因みに古事記の‘建速須佐之男命と櫛名田比売’の子供は「八嶋士奴美神(やしまいjぬみのかみ)」です。
あぁぁぁぁ、難し過ぎる~というか、覚えられない~

こうやって、ブログを書くことで私も勉強させてもらっています、ハイ。

鬼神神社5
そしてこちら!!
素戔嗚尊と五十猛尊が乗ってきたといわれている埴船(はにふね)が岩化したものだと言われています。
地上2メートル、地下に数メートル埋もれているんだとか・・・。

鬼神神社1
こちらが、御本殿です。
大正7年の遷宮の時に建て替えられたのだそうです。

鬼神神社2
そして、裏山に入っていくと・・・・。
鬼神神社3
こちら、五十猛尊の御陵墓がありました!!!


由緒記が飾られていた読んだのですが、うむ~って感じ・・・。
そしたら、なんと有り難いことにここの神社を管理しておられる方が突如として現れて下さったのです!!!

『どちらから来られましたか?!』と・・・。

『町内です、松葉屋の内田です。』と・・・。

『な~んだ、松葉屋さんかね。』と・・・。

私自身初めてお会いする鬼神神社代表役員であり、責任総代の小林さん、とってもご親切に色々お話を聞かせてくださいました!!!
ありがとうございましたーー。

鬼神神社4


いつ遷宮を行ったのか、どなたが宮司さんか、何人ぐらい氏子さんがおられるのか・・・色々質問。
ここを守って管理するの大変ですねと言うと、

『自分達のことだけん。 良いも悪いも自分達の責任だけん。』

という言葉が返ってきました。


前に大呂神社に行ったときにも地元の方と出会い、『お参りして下さってありがとう。』という言葉に感動したのですが、今日もまた地元の人が大事に大事に守り、つないでいっているその姿にまた涙が出そうでした。

『最近はねぇ、若いもんが頑張っちょうよ~。危機感を感じて、年越しにここで賑やかしちょうけん。』


私が心配するほどの事でもなく、知らないだけで皆そこに暮らす人たちが自分の事として活動されているだと知り、嬉しくなりました。
こういった事は地道で華やかなものではありません。でも、心豊かに暮らすとは実はこんなところにあるような気がしています。

ここ奥出雲に住む私達にとっての初詣は、氏神様に12月31日除夜の鐘をききながらお参りする形。
そこで会った皆さんと『明けましておめでとうございます!今年も1年よろしくお願いします。』挨拶を交わします。
自分の氏神様しか詣でた事がないので他を知らなかったのですが、今日伺ってここでも同じことが行われていたと知りました。

田舎はつながりが強いので、色々大変な面もありますが、でもこうやって同じ土地に暮らす人たちと共に生きることは反面素敵なことだなぁと思います。


神社巡りやお寺巡り、こういった事を調べることで私はこの大自然の中で‘生かされている’ということ。
神様やご先祖様に感謝して、今を懸命に生きることを教わっています。


今日の1日に感謝。
今日の出会いに感謝。


さて、毎年8月7日には龍燈祭(オロチ退治の命日にオロチの魂を鎮めるお祭り)をされているのだそうです。
こちらも楽しみ♪ 是非8月7日に行ってみたいと思います!!

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