咲子の奥出雲山里だより - 奥出雲讃菓 松葉屋

生まれ育った田舎町をこよなく愛し、一人でも多くの人にここを知ってもらい訪れて欲しいと願いながら和菓子屋の専務として日々奮闘中!家業と地域の発展にどう貢献できるか…ここでどう心豊かに暮らしていくか、そんなこと考えながら日々の暮らしを綴っていきます。

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鉄師ト蔵家にまつわる話 ~子孫の想い~

たたら製鉄の話は何度もこのブログでしているので、今回は詳しくは書きませんが、今日は松江藩5鉄師の中の1つ「ト蔵家」を取り上げてみたいと思います。ト蔵家のたたら経営の記録が確かなのは1768年から。約250年の間1925年(大正14年)まで操業をしていたお家です。残念ながらト蔵家としては無くなってしまいましたが、その子孫の田辺さん親子が少しずつ整備されながら今に伝えておられます。お母さまは2007年6月に「ト蔵庭園 椿...
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奥出雲の歴史を探る

3月最後にもう一度雪が降るものですが、今回は大雪&寒さが厳しかったです。昨夜9:30頃自宅に帰ろうと車を走らせていると、目に入ったのは「-7℃」の温度計でした。寒いはずです・・・さて、ブログやFacebookで情報提供を依頼した「安部十二造氏」について、多くの方のご好意で色々と分かってきました。2月16日に初めて「安部十二造」という名前を聞き、興味を覚え調べ始め3週間経ちましたが、幸運にも『安部十二造 遺稿と追想録』...
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「消えた仁王像」の追跡 ③

第3章 追跡を終えて 『帰国して間もなく、メノー氏から約束の回答が届いた。2つの文書が添付されていた。1つは仁王像の後頭部の墨書である。そこには、仁王堂が暦応年間(1338年~1342年)の兵乱によって破損したこと、及び天文8年(1539年)に仁王像を彩色したことが書かれている。他の1つは岩屋寺文書の快円日記の抜粋である。康秀が天文8年に四天王像を造ったこと、及び仁王像を修復したことが書かれている。これら2文書につ...
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「消えた仁王像」の追跡 ②

第2章 仁王像に対面 『4月11日10時半に福岡空港を離陸、同日の現地時間15時過ぎにアムステルダム国際空港に到着(約12時間の飛行、時差7時間)。アムステルダムを起点にして、オランダ、ベルギー及びルクセンブルク三国の周遊を終えて、再びアムステルダムに戻る。いよいよ仁王像に対面する4月18日を迎えた。すでに13日に初公開され、お披露目を終えている。 オープン初日の入場者数は約2万人であったという。当日も入口は長蛇の...
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「消えた仁王像」の追跡 ①

第1章 海を渡った仁王像 『私の故郷、島根県仁多郡奥出雲町(旧横田町)の横田八幡宮裏山の頂上に真言宗の岩屋寺がある。残存している古文書によれば、天平勝宝年間(749年~756年)に行基による創建とされ、聖武天皇勅願所であった。1274年、最初の蒙古襲来時、博多湾沿岸に上陸した蒙古軍は暴風と高波により船の大半が沈没して運よく国難を逃れたが、次の襲来に備えることを余儀なくされた。日本の寺という寺では勝利を祈願す...
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Author : 内田咲子

奥出雲をこよなく愛し、町内外のひとたちにこの地方の良さを伝えていきたいと思っています。

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