咲子の奥出雲山里だより - 奥出雲讃菓 松葉屋

生まれ育った田舎町をこよなく愛し、一人でも多くの人にここを知ってもらい訪れて欲しいと願いながら和菓子屋の専務として日々奮闘中!家業と地域の発展にどう貢献できるか…ここでどう心豊かに暮らしていくか、そんなこと考えながら日々の暮らしを綴っていきます。

0

奥出雲で生きるということ

こんにちは!最近いろんな出来事があり、出逢いがあり、考えさせられることが多く、無い頭をフル回転させています。

先日東京からのお客様とご一緒する機会に恵まれました。某大手飲料メーカーの副社長様や世界で活躍するアスリートをプロデュースする会社の社長様、官僚の方々などとご一緒に雲南市吉田村にある"菅谷たたら""鉄の歴史博物館"見学と"木次乳業(有)"の相談役・佐藤忠吉様にお会いしてお話を聞かせてもらいました。

たたらの事は今までにも少し調べたこともあったし、たたら操業も一度見学に行かせてもらったこともあり多少分かっていたつもりでしたが、今回"菅谷たたら"見学と"鉄の歴史博物館"でビデオを見させてもらい衝撃を受けました!!

菅谷たたら.jpg

そしてその後、佐藤さんにお会いし'食の杜'内にある茅葺の家で木次乳業創業の話や農業の話を聞かせていただき、ここでもまた衝撃を受けました。

茅葺の家.jpg

何に衝撃を受けたかというと、私自身「奥出雲を愛してやまない一人」と豪語しておきながら、あまりにも'奥出雲町横田(旧横田町)'に固執しすぎて、近隣の町の事など全くしらずして語っていたということに気づかされ、このたたら製鉄の栄えた中国山脈内の地域(奥出雲地方とでも呼びましょうか)は切っても切り離せない、今はただ行政区域で区切られているだけで、奥出雲地方の生きてきた道のりを知り、この町で生きて行くことのヒントを得たような気がしました。

お勉強の'歴史'が嫌いだった私は、何年に何があったとか全く覚えられず昔の事を知って(覚えて)何になるのか?位にしか思っていませんでしたが、今'歴史'から学ぶことは多く先人達が何を思い、どう生きてきたのかを知ることで今の私たちの暮らしのヒントになると思うと歴史を学ぶというのはとても大切な事だと思っています。

今回のたたら見学で学んだことは、昔は鉄穴流しという技法で砂鉄を採りたたら操業をしていたのですが、このたたら操業に関わる人々の暮らしと、その周辺で農業をしていた人たちの間で争いがあった。どいういう争いかというと田畑が砂鉄の混じった土砂でやられてしまい農業ができず生活ができないので、その為争いを避けるためお互い知恵を出し、農閑期(9月末~3月末)の間に砂鉄採取をし、農業をする間は採取しないという約束をした。そうすることにより農家の人々も仕事のない農閑期には砂鉄を採る仕事につかせてもらった。など共存する道を取ったということです。
こういう事から'その地域で暮らす知恵'を教わるのだと思いました。

また、御年92歳の佐藤さんの92年間生きてきて体験したこと、感じたこと、今思うことなどお話を聞き、日本の農民の素晴らしさや、その土地のものを食べて生きていくことの価値や意味を教えていただき、また自立心を養う大切さ、自然と共存して生きていくことの大切さなど教わりました。

日登牧場.jpg

焼さば寿司.jpg

日登牧場で可愛い牛たちを見せてもらい、最後は木次駅の近くの名物焼さば寿司をいただき、この場でもまた皆さんの会話から感じることが多々ありました。

私の母は木次町出身なので雲南の血も混じっています。この奥出雲地域一体をもっと知りたい、たたらも行政区域で区切った発信の仕方ではなくもっと連携して発信できればいいなぁと思いました。(すでに"鉄の道文化圏"と言って6市町村でできた団体がありますが...。)まだ行ったことのない施設等を訪れてたたらについて学びたいと思っています。

今を心豊かに生きるヒントがたくさんちりばめられている、そんなことを感じた1日でした。
ご一緒させて頂いた皆様、本当にありがとうございました!!





コメント

非公開コメント
My profile

Author : 内田咲子

奥出雲をこよなく愛し、町内外のひとたちにこの地方の良さを伝えていきたいと思っています。

プロフィール

内田咲子

Author:内田咲子
奥出雲をこよなく愛し、町内外のひとたちにこの地方の良さを伝えていきたいと思っています。

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR