咲子の奥出雲山里だより - 奥出雲讃菓 松葉屋

生まれ育った田舎町をこよなく愛し、一人でも多くの人にここを知ってもらい訪れて欲しいと願いながら和菓子屋の専務として日々奮闘中!家業と地域の発展にどう貢献できるか…ここでどう心豊かに暮らしていくか、そんなこと考えながら日々の暮らしを綴っていきます。

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実業家・稲田神社創建者 小林徳一郎氏

皆様こんにちは!やっと稲田神社の創建者・小林徳一郎さんをご紹介する日が来ました。色々調べていくと、ついあっちこっちと脱線してしまいまして、なかなかまとめる事ができませんでしたが、何とかやっと今日に至りましたのでご紹介します。
 まず稲田神社を簡単に説明しますと、古事記(712年)や日本書紀(720年)に書かれたヤマタノオロチ神話に出てくるスサノオが助けたお姫様(古事記では櫛名田比売(クシナダヒメ)、日本書紀では奇稲田姫(クシイナダヒメ)と表記=通称稲田姫)を主祭神として祀る神社です。その昔小さな祠と今でも現存する'産湯の池'(稲田姫様生まれた時に使ったとされる池)と'笹の宮'(稲田姫が生まれた時臍の緒を切った笹)があり、安産の神・縁結びの神としてこの地域の人々に信仰されていました。
 
 小林徳一郎氏は奥出雲の生まれではなく、島根県邑智郡高原村に明治3年生まれました。徳一郎氏の祖父幸四郎氏が横田町下横田生まれで氏の弟・伝助に家督を譲り、たたら製鉄に打ち込むため祖父は広島県比婆郡比和村に移りました。そして祖父の長男清四郎(徳一郎の父)が邑智郡高原村に移り、そして徳一郎氏が生まれました。
 たたら製鉄は洋式製鉄用の輸入により経営は苦しくなり、小林家も苦難の時代を迎えます。そして徳一郎氏は幼少より鍛冶屋に奉公に出たり、寺の小僧として一家の家計を助けました。そして16歳で福岡県田川郡の炭鉱に入る為、歩いて旅にでます。通りすがりの人から聞いた峰地炭鉱に入り28歳までひたすら炭鉱夫として地道に働きました。
 28歳結婚を機に正業を進み工事現場の現場監督、そして小倉駅前埋め立ての築港工事、九州鉄道の海老津駅改築工事、陸軍十二師団関係の諸工事等を請け負い、その傍ら運送業や回漕問屋を開業し、青年実業家としての地位を確固たるものにしました。明治38年36歳の時でした。 同じ頃小林家と縁続きだった安部家は火災等で家運が思わしくなかったので援助ということで安部家の山林・田を買い求めます。(のちにこの山から切り出された木が稲田神社創建に使われることに。) この頃から請負工事が急速に増加し小倉の師範学校や小中学校などなどおびただしい数の仕事をこなしました。そして明治44年、'発展は社会の恩恵'という事で島根県に1万円を寄付し、小林育英資金を設けます。
 大正3年に初めて祖父の郷里である横田に帰省した時、親族と協議して成功した記念として稲田神社を造営し創建することを決心。また大正4年には大正天皇御大典記念として出雲大社の大鳥居と参道の松樹数百本を寄進。その他様々な社会貢献活動をします。
 稲田神社創建の決心から17年、3期に分け工事をすることに。第1期工事を昭和6年~8年まで、第2期工事を昭和13年11月~14年12月まで、第3期工事は起源2600年記念として計画、しかし戦時中の統制が厳しく実現せず。第2期までの総工費は三十数万円にも及ぶ多額の金額がかかり、参道・本殿向拝・幣殿・社務所・神橋・拝殿向拝・通殿・神饌殿・手水舎・玉垣・石垣・石段・大鳥居が完成しました。(今のお金に換算すると数十億だそうです。)そして昭和14年12月境内に小林徳一郎頌徳碑が建立。氏70歳の時でした。晩年も寄付や社会貢献活動を積極的にされ、昭和31年1月3日小倉市において87歳の生涯を閉じました。

【参考文献】
 『聞書小林徳一郎翁伝』発行・小倉市役所秘書課内'小林徳一郎翁顕彰会' 筆録者米津三郎、編纂者劉寒吉
 『奥出雲』発行・横田史談会 高橋一郎著

 今、多分稲田神社の事を知らない人もいれば、いつ誰が建てたのかなど誰も興味を持たないと思います。しかし、私たちの先祖にこのように地域を思い地域の為と思い活動された方がいたことを伝えるのは今いる私達だと思います。この神社は氏子がおらず小林徳一郎氏が建ててからかなりの年数が経ち老朽していましたが、平成18年に"稲田神社保存会"が立ち上がり寄付金集めをされ、この度拝殿の修繕が完成しました。そして9月24日(土)、『出遷宮祭』が千家名誉宮司の元とり行われます。一般の方も参加可能のようですので、興味のある方は是非足を運んでみて下さい。17時頃より始まるそうです。

新 稲田神社.jpg

コメント

稲田神社一部屋根の修理が終わりきれいになりました。
これから、どんなイベントで利用され、どんな人たちが
集まって交流されるのか楽しみです。
奥出雲の発展に役立ってほしいですね。

>糸原武文様
コメントありがとうございます!綺麗になりましたよね。
あの銅板ががキラキラ眩しいですが、JR出雲横田駅の屋根と同じみたいなので渋くなるのも楽しみです!
少しでも多くの人に関心を持ってもらい、足を運んでもらいたいものです。

見つけた… 苦笑;;
勝手なこと言わないで欲しいものです(笑)

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《小林徳一郎》[縣立 横田農學校]

『近代デジタルライブラリー』で調べました。

《小林徳一郎》[縣立 横田農學校]
【島根県案内誌】昭和12年
[縣立 横田農學校]
大正十五年十月
小林徳一郎氏より
運動場六反歩の寄附を受く。
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1124/

《校長 島田久次郎氏》[縣立 横田農學校]
【島根県案内誌】昭和12年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1125/

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奥出雲をこよなく愛し、町内外のひとたちにこの地方の良さを伝えていきたいと思っています。

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