咲子の奥出雲山里だより - 奥出雲讃菓 松葉屋

生まれ育った田舎町をこよなく愛し、一人でも多くの人にここを知ってもらい訪れて欲しいと願いながら和菓子屋の専務として日々奮闘中!家業と地域の発展にどう貢献できるか…ここでどう心豊かに暮らしていくか、そんなこと考えながら日々の暮らしを綴っていきます。

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おじいちゃんへの手紙

Dear おじいちゃん

初めてお手紙書きます、孫の咲子です。
あなたの息子(私の父)と私の母と一緒に家を建てようと言い始めてから早10年。
紆余曲折ありながら、おじいちゃん貴方が昭和17年に建てた家をリノベすることになり、今年の1月から一部解体し、5月に着工しました。
この半年ほど家の片付けをしている中で、貴方の遺品がたくさん出てきました。
貴方がどれだけ几帳面で、家族の為に一生懸命頑張っていたかが伝わるそんな数々でした。
また戦争中(満州事変)の写真がたくさんあり、その時の記録を丁寧に残しておられましたね。そういうところを私も少し受け継いでいるのかもしれません。
歴史でしか知らなかった戦争が、急に身近に感じられました。どんな思いで戦地へ赴き、そこで自分の役割を果たしていたのですか?1枚の写真に「-40℃」と書いてありその様子から寒さが伝わってきました。私が想像もできない辛く大変な思いをしたのでしょうね。
あの時どんな思いでいたのか、聞いてみたかったです…。

生きては帰ってきたものの、まさかの食中毒で42歳という若さで、愛する妻・育ての母・5人の子供を残しこの世を去らなければならなかったかと思うと本当に悔しかっただろうし、未練を残していたのではないかと想像しています。
あれから約70年・・・貴方の子供たちは皆幸せな家庭を築き、貴方にとっての孫は12人できたんですよ。私は貴方の長男の子供として生まれました。そして、内孫にあたる息子の長男が現在松葉屋の社長をし、私は兄を支えながら松葉屋を切り盛りしています。
父も父の兄弟も誰も記憶しているものがいないため、創業は多分昭和12年か13年。なので創業12年としていますが、そこから数えて今年で創業83年となりました。
父が中学1年生の時に亡くなったんですよね、相当苦労したと聞いていますが貴方が建てた家を増改築しながら少しずつ松葉屋を大きくし、私たちを育ててくれました。
そして21年前に国道沿いに移転オープンし、現在内田家5名と12名のスタッフと一緒に頑張っています。

そんな中、家を建てる話を両親とするようになりました。別の土地に新築のお家を建てることやこの貴方が建てた家を壊して新築という案もありました。でも色々考えた結果、貴方が残してくれた家を壊して新築を建てるという事はできない、思い出の家を改修して人の集まる家を作りたいと考えるようになりました。
素敵な設計をしてくれる会社の皆さんと出逢い、そして大工さんを始めその他関わって下さる腕の良い職人さんたちに恵まれ改修が進んでいます。
大工さんに褒めてもらいましたよ!
「全然曲がったりしていないし、屋根には栗の木使ったそぎ葺きがしてあるし、良い家ですよ!僕たちがちゃんと改修し、100年先も持つ家を作りますから!」と言ってもらっています。
おじいちゃん、素敵な家を建てて残してくれてありがとう!

この世で会う事のできなかったおじいちゃん・・・
今度この家を改修するのは、私が会う事もない未来の誰か・・・
その時にこの家を残してくれてありがとう!と言ってもらえるように、私にできる最善を尽くそうと思います。


会って色々お話したいです。。。
今どう思ってあの世から見守ってくれていますか?

ここのところ、大きな災害や思いもしないウイルスによって世の中が大変な事になっています。
そんな中でも家族やスタッフと協力し合い、お客様や多くの方に応援してもらいながら松葉屋を守っています。

貴方の遺品や写真を見て、手紙を送りたくなりました。
どうかおじいちゃん、松葉屋の発展と改修中の家が安全に終わるよう見守っていて下さい!
多くの人に愛されるお菓子屋、そして人が集まる場を作っていきたいと思います。

内田幸様

貴方の孫、咲子より

内田幸
一番古いおじいちゃんの写真。(右、多分10代後半)














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Author : 内田咲子

奥出雲をこよなく愛し、町内外のひとたちにこの地方の良さを伝えていきたいと思っています。

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